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F1のジュールビアンキとは?悲劇の事故や功績・年収や彼女についても

F1の永久欠番、カーNo.17を付けていたフランス人ドライバー、ジュールビアンキ。フェラーリのテストドライバーとして前途有望だった彼に、突然襲った悲劇とは?彼のF1デビューまでの道のり、年収、美人の彼女、あの事故とその後の功績について記載しています。

ジュール ビアンキってどんな人?


F1でカーNo.17は、永久欠番になっています。
そのNo.17を付けていたフランス人ドライバー、ジュールビアンキのことを、みなさんご存知でしょうか?

彼は3度のGTチャンピオンであるマウロ・ビアンキを祖父に持ち、また1960年代にF1で活躍し、ルマン優勝経験もあるルシアン・ビアンキの親族という、レース一家の出身です。
19889年生まれで5歳からカートレースをはじめ、2005年はフォーミュラAでアジア・パシフィックチャンピオン、2006年はフランスチャンピオンと頭角を現しました。

ジュール ビアンキのF1デビューまでの道のり

フォーミュラ3・ユーロシリーズから本格参戦

ARTグランプリのダラーラF308を駆るビアンキ(2009年ホッケンハイム)

ジュールビアンキが本格的にフォーミュラの世界に飛び込んだのは2007年、ARTグランプリというチームから、フォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦を開始します。

翌2008年にはランキング3位を獲得。
2009年にはバルテリ・ボッタス、エステバン・グティエレスといった、後にF1ドライバーとなる面々とのチャンピオン争いの末、見事タイトルを獲得しました。
その結果、名門フェラーリの若手育成プログラム「フェラーリ・ドライバー・アカデミー」の第一期生に選ばれます。

GP2での活躍によりフェラーリと契約へ!

GP2時代、ロータスARTより参戦するビアンキ(2011年モンツァ)

ジュールビアンキは、2010年にF1への登竜門であるGP2へステップアップ。
2011年には1勝をあげ、選手権3位を獲得しました。

またその年、なんとフェラーリとF1テストドライバー契約を結んだのです!
フェラーリの首脳陣は、彼の才能を見込みライコネンの後釜にしようと考えていたと語っています。
そして2012年、フォース・インディアのリザーブドライバーとなり、フリー走行に9回出走できました。

マルシャのドライバーとしてF1デビュー

マレーシアGPにてマルシャ・MR02を駆るビアンキ

そして2013年、とうとうチャンスがめぐってきます。
当初は前年のリザーブドライバー契約のあるフォース・インディアのシートを狙っていましたが、結局フォース・インディアはエイドリアン・スーティルと契約してしまいました。

すでにほとんどのチームのシートが埋まっている状況でしたが、マルシャと契約していたドライバーが持参金を用意できず、シートに空きが生じたところにジュール・ビアンキが滑り込みました。
開幕まで2週間と迫った3月1日、マルシャのドライバーとして正式に発表され、念願のF1デビューが叶いました。

ジュール・ビアンキのF1での年収は?

お金

これまでエリートコースを歩んできたジュール・ビアンキですが、F1昇格後、苦難の道を歩みます。
彼の才能をもってしても、マルシャという底辺のチームではドライバーズランキングは2013年は19位、2014年は17位がやっとでした。

そんなジュール・ビアンキのF1での年収は、どのくらいだったのでしょうか?

意外と高収入? でもトップドライバーと比べると…

毎年F1レーサーの年収の番付を発表しているサイト、www.crash.netによりますと、彼の年収は2013、2014年ともに50万ユーロ(約6,400万円)となっています。

そんなにもらえるのか?と思うかも知れませんが、当時のトップドライバーだったアロンソやハミルトンの年収は約2,000万ユーロ(26億円)にもなっていますので、トップドライバーと比べると40分の1ということになりますね。

チームを救ったジュール・ビアンキの光る走り

バーレーンGPにてマルシャ・MR03を駆るビアンキ(2014年)

そのような低いギャラにもかかわらず、彼は2014年に難易度の非常に高いモナコGPで入賞を記録するなど、光る走りを見せています。
またその際に獲得した2ポイントによって、マルシャチームは賞金を獲得し、翌年のエントリーに生き残ることが出来ました。

ジュール・ビアンキを襲った事故とは?

サーキット

ジュール・ビアンキのF1参戦2年目、2014年シリーズ終盤、第15戦日本GPにて、悲劇が起こります。

その日は台風が接近し、レース前から強い雨が降っていました。
43周目、ダンロップコーナーで1台のマシンが雨に足を取られてコースオフ。
路面は非常に滑りやすくなっていましたが赤旗は出ず、その撤去作業を行うために重機が出動しました。

撤去作業中の重機との衝突事故

黄旗は振られていたもののレースは続行されていますので、必要以上に減速すると順位を落とすことになります。
そのため、かなりのスピードで各マシンはダンロップコーナーを駆け抜けていきます。

そこへ、通りかかったジュール・ビアンキのマシンも、雨に足をすくわれてコースアウト、そして、マシンの撤去作業中の重機めがけて突っ込んでいきました。

救急搬送されるも昏睡状態が続く

事故を目撃した誰もが、最悪の状態を予感しました。
激突時の衝撃は254Gにもなったといいます。
懸命の救出作業と、病院への搬送、手術が行われました。

手術は成功したものの、ジュール・ビアンキは人工的な昏睡状態のまま何カ月も長い治療が続きます。
一時は自発呼吸を再開し、母国フランスの病院への転院もできました。
ミハエル・シューマッハの例のように意識が戻ることも期待されました。

美しい彼女が送ったツイッターメッセージ

画像はイメージ(本人ではありません)

女性 スマホ

ジュール・ビアンキには、カミール・マルケッティという1つ年下のおしゃれで美しいガールフレンドがいました。
カミールは地中海コルシカ島の出身の大学生。
事故が起きるまで、彼女はよくビアンキのレースに応援に来ており、イベントなどでも一緒にいるところを写真に収められていました。

ジュール・ビアンキがこの悲惨な事故に遭った後、彼女はツイッターで

”Tu es mon champion! Tu es le plus fort"

つまり「あなたは私のチャンピオンよ!あなたは最強よ」と、ハートマークと手を合わせて祈る絵文字入りのメッセージをツイートしています。

その他のF1ドライバーの彼女についてはこちら

ジュール・ビアンキの死去とその後

しかしそんな彼女の願いも届かず、ジュール・ビアンキは事故から9か月後の2015年7月17日、母国フランス・ニースの中央大学病院で、静かに息を引き取りました。

家族からの声明文は以下のとおりです。

「ジュールはいつも彼がそうであったように、最後の最後まで戦いました。しかし今日、その戦いも終わりを告げる時が来ました。」

F1での死亡事故は20年ぶり

結果的にジュール・ビアンキの事故は、F1ではアイルトンセナ以来20年ぶり、鈴鹿サーキットでのF1開催26回目にして初の死亡事故となりました。

しかし逆に言えば、セナの事故から学んだ教訓が活かされて、安全に対する様々な努力が払われた結果、20年もの長い間死亡事故がなかったと言えます。
また、鈴鹿サーキットもそれまで安全性に極めて高い配慮を払った運営がなされていたわけです。

ジュール・ビアンキの功績

ジュール・ビアンキのの事故後、セナの時と同じように安全のための新たなレギュレーションが制定されました。
それは「バーチャルセーフティカー」というシステムで、事故車を撤去するために作業車をコースへ入れる際、セーフティーカーを導入せずとも全区間で減速を義務付けるものです。

これによって、セーフティーカーがコースに入るまでのタイムラグなくすぐにスロー走行を、サーキットの一部だけでなく全区間で実施できるため、今回のジュール・ビアンキのような悲劇の再発を防ぐことができています。

また、万一のクラッシュの際にドライバーを守るための”HALO”という装置も、2018年から導入の予定です。

現在も、彼の名誉を取り戻すための闘いが続いている

裁判

ジュール・ビアンキの父であるフィリップ・ビアンキ氏は、2016年7月、FIAとマルシャチームを提訴することに踏み切りました。

FIAの調査結果では「黄旗2本が振られていたにもかかわらず十分に減速しなかったビアンキに原因がある」とされていました。

これに対しフィリップ氏は「私を突き動かすのは、ジュールに正当な評価を取り戻してやりたいという気持ちだけだ。彼の責任だという人々の発言を彼に聞かせたくはない……もっと安全対策が必要だ。私の息子は死んでしまったのだから。(ESPN F1ニュースより)」と語っています。

彼の名誉のための裁判は現在も係争中のようです。

ジュール・ビアンキは不運だったか?

ジュール・ビアンキのコースアウトする直前に、同じようにコースアウトしたエイドリアン・スーティルは「ほとんど同じクラッシュだった。結果だけが違っていた」と語っています。

スリップした時の角度が少しでも違っていたら、あるいは重機が出動するタイミングが少しでもずれていたら…と考えると、残念でなりません。

F1にもっと安全を!

ジュール・ビアンキの事故を単なる不運だったと泣き寝入りするのではなく、大きな組織を相手に提訴に踏み切った遺族。
悲劇が起きてしまった事実は変えられませんが、F1のモータースポーツの未来が変わって欲しいという、彼のお父さんの願いが伝わってきます。

その願いが通じ、これからはもっと安全なF1グランプリになっていくことを願うばかりです。

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この記事の執筆者

井上 大この執筆者の詳細プロフィール

スポーツカー、モータースポーツ関連の情報を得意とする、フィリピン・セブ島在住のライターです。好きなレーサーはM.ハッキネン、J.ビルヌーブ、F.アロンソ、ひいきのF1チームはロータス(現在のルノー)、自動車メーカーは国内:スバル、海外:ロータスがお気に入りです。MOBYではジャン...

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