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【懐古】エンスーの意味や語源とは?まさにエンスーな車TOP10も!

英語文化圏のカー・エンスージアストという言葉を輸入し、短縮した「エンスー」という言葉は、漫画家・エッセイストの故・渡辺和博氏が使い始めた言葉で、それまで使われていた「カーマニア」や「カーキチ」という言葉の代わりに自動車趣味人を指す言葉として定着しました。今回はそんなエンスーと、彼らが愛情を傾けるエンスー車について解説します。

エンスージアストの意味と語源


「エンスー」とは英語で「熱狂的な支持者」という意味を持つ「エンスージアスト」(enthusiast)を略した言葉です。
この言葉はギリシア語のenthousiasmosが語源になっています。

エンスージアストの元になった「エンスージアズム」(enthusiasm)という言葉は、古来「霊感」や「(霊に)とり憑かれること」を意味し、エンスージアストは「霊にとり憑かれた人」を意味していました。
また、エンスージアストは神の意識が転送されてインスピレーションを受けるという意味もあり、ソクラテスは「詩人のインスピレーションとはエンスージアズムの一形態である」との言葉を残しています。

1755年に刊行されたジョンソン辞書では、エンスージアズムを「ある個人に起こった天啓、神の啓示を思い込みすぎること」と記しています。
すなわち、18世紀中頃まではエンスージアズムという言葉が使用される文脈は、宗教的な意味合いでの霊感や熱狂状態に限られていました。

現代では宗教的な意味合いは消える

しかし、現代ではエンスージアズムという言葉から宗教的な意味合いはなくなり、理想や主義主張、研究、探求することを意味するようになりました。
また、この言葉自体は中立であり、尊敬や蔑称の意味合いは含まれていません。

献身的な姿勢での理想の追求や研究活動の場合は、尊敬の意味合いを込めて使われますが、過度な偏向や独り善がりで排他的な姿勢の場合には、批判を込めて使われることがあります。

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エンスージアストという言葉の広がり

今日ではエンスージアズム、あるいはエンスージアストという言葉は、自動車趣味の世界で広く使われるようになっています。

日本では70年代まで自動車趣味人のことを「カーマニア」とか「カーキチ」と呼んでいました。
ところが、これらの言葉は80年代に入ると使用頻度が徐々に少なくなり、それに代わってエンスージアストという言葉が使われるようになります。

その背景にあったのが、1984年に刊行された自動車雑誌「NAVI」(二玄社刊・現在は休刊)です。
この雑誌は「カーグラフィック」の姉妹誌として創刊され、それまでハードウェア中心で語られることが多かったクルマを、社会・文化的な観点から語るという当時としては斬新なコンセプトでスタートしました。

この雑誌の中では従来使われていた「カーマニア」や「カーキチ」という言葉はほとんど登場することはなく、英語文化圏のカー・エンスージアスト(car enthusiast)という言葉を輸入して、自動車趣味人は「エンスージアスト」、自動車趣味にかける情熱を「エンスージアズム」と表記していました。
そして、雑誌の売り上げ増とともにこの言葉も自動車趣味の世界で広く普及して行ったのです。

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エンスーと略されたのはいつからか?

エンスージアストいう言葉を「エンスー」と略して使い始めたのも「NAVI」でした。

「NAVI」創刊号から連載が始まった漫画家・エッセイストの故・渡辺和博氏による「エンスーへの道」という企画がエンスーという言葉の初出となりました。

渡辺氏は自身の著書「エンスー養成講座」(二玄社・NAVIブックス)の中で、エンスーと略した理由を「(原稿の中で)エンスージアストといちいち書くのが面倒なので、エンスーと略したのが始まりだ」と記しています。
それとともに「それまで社会一般で通用していた車好きを表す言葉、カーマニアやカーキチを超えた何かNOWな感じがした」とも書いています。

そして、渡辺氏が発明したエンスーという言葉は、たちまち多くのモーター・ジャーナリストによって使われるようになり、自動車雑誌の熱心な愛読者を中心に広まって行きました。

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エンスーの隆盛と大衆化

↓クラシックカー・ミーティングに参加するボルボ・アマゾン。


エンスーが愛情を傾ける対象は、英国車、ドイツ車、フランス車、イタリア車、スウェーデン車、アメリカ車とさまざまです。
80年代に入るまでは日本車はエンスージアスティックな対象として認められていませんでしたが、現在では旧車やネオクラシック車を中心にエンスー車として認められるようになりました。

かつて、各派はそれぞれ独自の道を歩んでおり、他派との交流はほとんどありませんでした。
これは庶民にとってはクルマがまだまだ高嶺の花であり、一家に1台しか所有できなかったという、当時の経済事情が強く影響しています。

複数所有の時代が到来


しかし、80年代に入ると国内の経済事情が好転。
バブルという史上空前の好景気を迎えるに当たって、エンスーも資産増大の余得にあずかり、地方都市を中心に複数所有が可能になりました。

その結果、本命のエンスー車のほかにアシ車としてライトなエンスー車を購入したり(60年代のアルファロメオ・ジュリアを趣味車としつつ、普段のアシに同社の155を購入するなど)、別系統のエンスー車をクロスオーバーで所有したり(ナローポルシェを所有しつつ、シトロエンCXを購入するなど)、同じ車種の部品取り車を所有したりと、エンスー車の複数所有が珍しくなくなるのにともなって、各派はジャンルを超えて交流するようになって行ったのです。

パソコン通信に始まる黎明期のインターネットがその一助となったのは言うでもありません。

そして、好景気とネット環境の勃興によってエンスーの世界に浸る人が増えて行きました。

エンスーの大衆化と衰退

また、89年に創刊された男性月刊誌「Begin」(世界文化社)や同誌から派生した「CarEX」などの雑誌メディアも「エンスー車をカジュアルに乗る」との特集をたびたび組むことにより、本来はディープな趣味の世界だったエンスーワールドが急速に大衆化して行きます。

その結果、80年代後半から90年代前半にかけて、アルファロメオ・ジュリアシリーズ、ボルボ・アマゾン、MG-Bなどのエンスー車が並行輸入業者によって多数上陸し、それらのクルマを愛車とする若者が急速に増えて行きました。

この時代、雑誌メディアの影響でエンスーの世界に足を踏み入れたライト層も含め、エンスー人口は爆発的に増大したのです。

しかし、こうした状況は長続きはしませんでした。
バブル崩壊とその後の日本経済の長期低迷、SUVやミニバンブーム、AT免許の創設によるイージードライブ志向の高まり、若者のクルマ離れなどによって、現在ではエンスー人口の減少と高齢化が進んでいます。


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エンスー的な価値観

↓トヨタ主催の「クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑」では軍用車両の参加は認められていない。

クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑

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何をもってエンスー車とするかは、個々のエンスーの価値観によって異なります。
ある人にとっては趣味の対象となるエンスー車であっても、別の人にとっては単なる古臭いポンコツ車ということもあります。

アメリカ車やクロカン4WD、商用車、軍用車両は、エンスーの世界では、これを認めるか認めないかで議論を呼ぶところです(例えば、トヨタが主催するクラシックカー・フェスティバルでは、ウィリス・ジープやキューベルワーゲンなどの軍用車両の参加を受けつけていません)。

こうしたエンスー車であるか、そうでないかという価値判断は、二玄社的な価値観(もっと言えば、カーグラフィック初代編集長の故・小林彰太郎氏の価値観)が、日本におけるエンスーという概念に強く影響を及ぼしていることは否定できないでしょう。

先ほども述べた通り、80年代以前、日本車はエンスー車の範疇に入らず(小林彰太郎氏が生涯で購入した日本車はホンダS600だけでした)、今日においてもアメリカ車や軍用車両がエンスー車としては冷遇されていることとも無関係ではないはずです。

エンスー車かは微妙でもやはり魅力的な軍用車両の情報はこちら

エンスー車トップ10


一般にエンスー車と呼ばれるクルマは、絶版車、あるいは昔からモデルチェンジされることなく継続生産されている車種(先進国では安全基準の引き上げによってほとんど姿を消しましたが・・・)となるようです。

しかし、絶版車と言っても戦前のブガッティ・タイプ35やアルファロメオ6Cなどは、クラシックカーという別カテゴリーとなり、その対象には含まれないことが多いようです。

エンスー車と言うのは、新車当時も無理をすれば買えたかもしれないし、今でも手がでない価格帯(おおむね数百万くらいで買える)ではない、けど買わない・・・という車種になります。

今回はそんな代表的なエンスー車10台を紹介して行きます。
あくまでもトップ10をピックアップしただけでランキング形式ではありません。

エンスー車TOP10 ①クラシック・ミニ

クラシック・ミニ

VWタイプ1(ビートル)、シトロエン2CV、フィアット500と並び世界四大小型大衆車の1台に数えられるクラシック・ミニは、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)の技術者であったアレック・イシゴニスによって59年に誕生しました。

ミニの最大の特徴は、限られたサイズの中で最大限の車内スペースを確保するために、エンジンを横置きにして、トランスミッションをエンジン下部のオイルパンに置くという2階建て構造のパワートレインを採用したことにあります。

また、サスペンションは一般的な金属バネを用いるのではなく、円錐状に成型されたゴムを用いるラバーコーンサスペンションを採用しています。

長く低迷した英国経済を反映して、ミニの製造ブランドは何度か変わりましたが、生産は2000年まで継続されました。
ミニはFF+エンジン横置きレイアウトを普及させたエポックメイキング的存在であり、またレーシングチューンを施したミニクーパーが各種レースで活躍したこともあって、今日でも世界的な人気エンスー車となっています。

ローバーミニ(クラシックミニ)に関する情報はこちらの記事

エンスー車TOP10 ②MG-B

MG B

©Shutterstock.com/ SN-Photography

MG-Bは英国のスポーツカーメーカー・MGが62年に発表したオープン2シータースポーツカーです(クーペボディのMG-B GTもありました)。
同車は前モデルのMG-Aが搭載していた1.8L直4OHVを搭載し、トランスミッションは4MT、サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン、リアが半楕円リーフというコンベンショナルなメカニズムを採用しています。

ただし、ボディはラダーフレーム構造を採用していたMG-Aに対して、MG-Bは近代的なモノコック構造へと変更されています。
同車は生産が終了する80年までに52万台以上が生産される英国製スポーツカーを代表する大ヒット作になりました。

MG-Bは単純な構造と高い信頼性、手頃な中古車価格(80〜200万円ほど)、アフターパーツだけで新車が1台組めると言われるほど潤沢なパーツ状況によって、入門用エンスー車として現在でも高い人気を誇ります。

エンスー車TOP10 ③シトロエン2CV

シトロエン 2CV 1955

48年に登場したシトロエン2CVは、当時の同社副社長だったピエール・ブーランジェが農民の移動手段となる廉価なクルマを意図して企画した小型大衆車で、駆動方式に当時としては珍しかったFFを採用し、斬新なアイデアを数多く盛り込んだ軽量簡素な構造を持ち、優れた走行性能と居住性、経済性を同時に成立させた歴史に残る傑作大衆車です。

車名の「2CV」とは「2馬力」を意味しますが、これは実際のエンジン出力を意味するのではなく、かつてのフランスの自動車課税基準である「課税出力」のカテゴリー区分を表します。
開発30年代に進んでいましたが、第2次世界大戦の勃発により発表を延期しました。

デビュー直後のシトロエン2CVは、その斬新なコンセプトと奇抜な外見から「醜いアヒルの子」「乳母車」と嘲笑されましたが、その合理的な設計思想や実用性の高さから次第にユーザーに受け入れられて行き、90年まで生産が続きました。

シトロエン2CVはシンプルで維持が容易なエンスー車として、今日でも多くのファンに愛され続けています。

シトロエン 2Cvに関する情報はこちらの記事

エンスー車TOP10 ④シトロエンCX

シトロエンCX

シトロエンCXは前モデルのDSに代わる同社のフラッグシップとして74年に誕生しました。
車名の由来は空気抵抗係数を示す“CX”で、先にデビューしたコンパクトカーのGSによく似たファストバックボディを採用しました。

また、足回りにはシトロエン伝統のハイドロ・ニューマチック・サスペンションを採用。
エンスーから「空飛ぶ絨毯」と形容される素晴らしい乗り心地を実現しています。

シトロエンCXの内装は外観以上に個性的で、操作系はメーターパネル側面のサテライトスイッチに集中されており、スピードメーターとレブカウンターは数字を書いた筒が回転するボビンメーターを採用しています。

しかし、近未来的な内外装に反してパワートレインは旧式で、戦前に生産を開始した11CV(トラクシオン・アバン)や50年代にデビューしたDSに搭載された1.9L〜2.3L直4OHVを横置きに搭載していました。

シトロエンCXはプジョー傘下に収まる前に開発された最後の純血シトロエンとして、フランス車ファンから人気が高いエンスー車です。

エンスー車TOP10 ⑤フィアット500

フィアット500

©️ 2017 山崎龍 All Rights Reserved.

“ルパン三世のクルマ”として認知度の高いフィアット500(ヌオーバ・チンクエチェント)は、戦後イタリア国内で普及していたスクーターを代替するため、小型大衆車の600よりさらに安価な4人乗りの超小型車として企画されました。

設計を担当したのはフィアット社の技術部長を務めていたカーデザイナーのダンテ・ジアコーサ氏。
開発に当たっては600の設計を下敷きにしており、モノコックボディ+RRレイアウトを採用しています。

エンジンは空冷直2気筒OHVを搭載(ジアコーサ氏は振動の問題から搭載に難色を示しましたが)し、排気量は車名の通り0.5L(最終型は0.65L)となりました。

なお日本国内での人気は、71年にオンエアされたアニメ「ルパン三世」(1stルパン)に登場したことがきっかけです。

当初、劇中でルパン三世はフェラーリのV12エンジンを積んだメルセデス・ベンツSSKを愛用していましたが、複雑なクラシックカーはアニメで動かすことが難しく、作画監督の大塚康生氏とアニメーターの青木悠三氏以外に作画できるスタッフがいなかったことから、シリーズ中盤でフィアット500に変更されたのです。

当時、大塚康生氏はフィアット500Fを愛車としており、スタッフといて参加していた宮崎駿氏から「ルパンの愛車は大塚さんのフィアットにしようよ。線が少ないから作画の手間が省けるよ」とのアドバイスを受けたことが変更の理由となっています(筆者が大塚康生氏から直接聞いた話ですから間違いありません)。

ほかにもフィアット500はジャン・レノ主演の映画「グランブルー」など多くの映像作品に登場。
エンスーだけでなく一般の認知度も高いクルマとしてフィアット500は非常に人気の高いクルマです。

新型フィアット・500に関する情報はこちらの記事

エンスー車TOP10 ⑥アルファロメオ・ジュリアシリーズ

アルファロメオ・ジュリア・スプリントGT

出典:Copyright©️ 2017 山崎龍 All Rights Reserved.

アルファロメオ・ジュリアシリーズは50年代にヒットしたジュリエッタ(初代)の後継車種として62年に誕生しました。

ジュリアシリーズは小型軽量のボディに、当時は一部のスポーツカーのみに搭載が許されていたDOHCエンジン、5MT、ディスクブレーキを搭載。
高性能でスポーティーな小型車として人気を博しました。

ジュリアシリーズのボディバリエーションは、自社デザインのベルリーナ(4ドアセダン)、ジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた美しいスプリントGT(クーペ)、66年に追加されたピニンファリーナデザインのスパイダー(2シーターオープン)の3種類を基本としています。

ジュリアシリーズは60年代のサーキットで活躍しました。
とくに65年に追加されたスプリントGTAは、スプリントGTのボディをアルミ製に変更して軽量化を果たしたことでベースモデルよりも車重が200kg軽く、エンジンは1気筒当たり2本のプラグを持つツインスパーク化されて最高出力を向上させたモデルで、当時のツーリングカーレースで圧倒的な速さを見せつけました。

ジュリアシリーズはエンスーの間で人気が高く、「段付き」(フロントノーズとボンネットとの間に段があることが由来)と呼ばれる前期型が珍重されています。

アルファロメオ・ジュリアに関する最新情報はこちらの記事

エンスー車TOP10 ⑦BMW02シリーズ

BMW 2002

BMW02シリーズは66〜77年にかけて生産されたBMWのスポーツセダンで、現在の3シリーズの始祖となったモデルです。
バリエーションは排気量に応じて、1.6Lの1602( デビュー当初は1600-2と呼称。のちに改名されました)、1.8Lの1802、2Lの2002、そしてモデル末期に追加された1.5Lの1502があり、パワーユニットはいずれも4気筒SOHCとなります。

また、2Lモデルにはツインキャブの2002ti、インジェクションの 2002tii、欧州車初の量産型ターボ(よく誤解されるのですが、世界初の量産ターボ車は62年に発表されたシボレー・コルベア・モンツァスパイダーとオールズモビルF85です)の2002ターボがありました。

ライバルだったアルファロメオ・ジュリアシリーズのリアサスペンションがリジットだったのに対し、02シリーズはフロントにマクファーソン・スラット+コイル、リアにセミ・トレーリングアーム+コイルによる4輪独立懸架式となっており、フロントブレーキはジュリアシリーズと同じくディスクブレーキを採用しています。

60年代の欧州のツーリングカーレースでは、ジュリアシリーズと幾度となくデッドヒートを繰り広げたことは、エンスーの間で現在でも語り種になっています。

エンスー車TOP10 ⑧VWタイプ1

フォルクスワーゲン ビートル タイプ1

©Shutterstock.com/Art Konovalov

「ビートル」の愛称で知られるVWタイプ1は、アドルフ・ヒトラーが提唱した国民車計画に基づいてフェルディナント・ポルシェ博士が設計した4人乗りの小型大衆車です。

ナチス政権下で国威発揚という目的を持たされていたVWタイプ1は、大衆車という位置づけにもかかわらず、アウトバーン(高速道路)での巡航も可能にする高性能を持ち、多様な気候下でも故障や性能低下がほとんどない万能車でした。

ヒトラーによる国民車構想は第2次世界大戦の勃発により頓挫し、タイプ1(当時はKdF-Wagen:歓喜力行団の自動車と呼称)は、プロトタイプがナチス親衛隊員によってテストされただけで国民の手には渡らず、戦時中は同社の基本設計を流用したキューベルワーゲンやシュビムワーゲンなどの軍用車が生産されるに留まりました。

しかし戦後、KdF-Wagen生産工場の管理を任された英陸軍のアイヴァン・ハースト少佐の尽力により、工場を再建し、タイプ1の製造を開始。
ドイツのみならず世界各国で販売・現地生産され、03年(ドイツ本国は78年まで)の生産終了までに累計2100万台という史上最多単一生産記録を残しています。

VWタイプ1は丸みを帯びたかわいらしいスタイリングと信頼性の高いメカニズムにより、今日でもエンスー車として人気の高いクルマです。

フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)に関する情報はこちらの記事

エンスー車TOP10 ⑨ポルシェ911

1963年 フェルディナンド・ポルシェ 設計 「ウル911」

63年に登場したポルシェ911は、356の後継としてフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ(フェルディナント・ポルシェの孫)の指揮で開発された水平対向6気筒エンジンを搭載したスポーツカーです。

低重心の水平対向エンジンをRRにマウントするポルシェ911は、運転の難易度が少々高いものの、熱効率に優れており、駆動ロスが少なく、同程度の車重・馬力を持つクルマよりも加速性能と燃費が良いことが特徴になっています。

また、スポーツカーにも関わらず、狭いながらも4つの座席を持ち、必要にして充分なトランクルームを備えることから実用性が高いことも特徴です。

半世紀以上の歴史を持つ911ですが、の間に何度か大掛かりな設計変更が行われており、901シリーズに始まって、930シリーズ、964シリーズ、996シリーズ、997シリーズ、991シリーズと6世代の911が存在しますが、エンスー車として愛好されているのは993以前の空冷モデルが中心となっています。
空冷時代のポルシェ911は、ドイツのクラフトマンシップを感じさせる金庫のようなボディ剛性感(あくまでも当時のレベルでの話ですが・・・)、空冷フラットシックスのエンジンのシャープなレスポンスとサウンド、カミソリのように鋭いコーナリングが何よりも魅力となっています。

近年では世界的な空冷ポルシェ人気により、993以前のポルシェ911の中古車価格は高騰しています。
ですが、ポルシェ911は永遠のエンスー車として、揺るぎない人気を誇っています。

空冷ポルシェ・911に関する情報はこちらの記事

エンスー車TOP10 ⑩ホンダSシリーズ

Sシリーズはホンダ初の市販乗用車として62年に発表されたオープン2シータースポーツカー(のちにクーペモデルも追加)です。
Sシリーズは62年のS500、64年のS600、66年のS800と年を経るごとに排気量を拡大して行きました。

搭載されるエンジンは「時計のように精密」と言わしめた水冷直列4気筒DOHCエンジンで、京浜精機製作所製の4連CVキャブレターと、等長エキゾーストマニホールドが奢られていました。

また、デフから先の動力伝達に2本のローラーチェーンを用いる後輪独立懸架が機械的な特徴になっています(S800のモデルライフ途中から、一般的なコイルスプリングと4リンク+パナールロッドのリジッドアクスルの組み合わせになりました)。

Sシリーズは小排気量ながら当時の1.2〜1.6Lクラスを上回る動力性能を発揮し、その高性能を活かしてS600が64年5月の第2回日本グランプリ・GT-1クラス、同年9月のニュルブルクリンク500km耐久レースで優勝。
モータースポーツの歴史に輝かしい功績を残しています。

現在、中古車市場でSシリーズを見る機会は少なくなりましたが、ライバル関係にあったトヨタ・スポーツ800(ヨタハチ)とともに、日本を代表するエンスー車として高く評価されています。

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エンスー車はバトン 人から人へと受け継ぐ

↓筆者が昨年参加した絶版二輪車・丸正ライラックのミーティングでの一葉。
各オーナーズクラブでは、後世に旧車を残すために若い世代のファンの獲得が課題になっているようです。

丸正ライラック・イベント

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前述の通り、エンスーの世界では、ファン人口はともかく、実際にエンスー車を所有して楽しむオーナー人口の減少と高齢化の問題を抱えています。

現在、エンスー業界では課題になっており、「若いファンに自分たちが愛するエンスー車を引き継ぐためにはどうしたら良いか?」ということが課題になっているようです。

昨年、筆者は60年代に廃業した二輪メーカー・丸正ライラックのオーナーミーティングに顔を出しましたが、参加者の平均年齢は60歳を超え、もっとも若いクラブメンバーでさえ50歳を超えていました。

40代の筆者がミーティングに参加したことで、オーナーズクラブのみなさんは大変喜んでくれ、ライラック入手に際しての丁寧なアドバイスに加え、購入に際しては喜んで相談に乗ってくださるとのありがたい申し出を受けました(クラブメンバーで譲渡してくれる方を紹介して下さるとも・・・)。

↓「お台場旧車天国2016」に参加したスバル360とスバルR2

スバル360

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また、某国産旧車のオーナーズクラブの方とイベントで話をしたときには、「稀少車のため市場に売り物はほとんどないが、クラブ内では売り物の情報がある部品のストックもクラブにはある。もし購入を考えているのなら相談して欲しい」
との言葉を頂いたことがあります。

世界的な旧車人気でエンスー車の中古車は高騰、一部は国外に流出してしまいましたが、愛好家のみなさんは「ぜひ若いファンに乗ってもらいたい」「日本国内にエンスー車を残してほしい」「自分たちの愛車を後世に残すべく引き継いでもらいたい」という気持ちが強いようです。

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エンスー車を楽しむのに資格や経験はいらない

↓フレンチブルーミーティングに参加したアルピーヌA110

アルピーヌA110

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エンスーについてのまとめ記事はいかがでしたでしょうか?

現在のクルマに比べて旧車は走行性能や快適性は劣りますし、保守管理にひと手間掛かることもあります。
しかし、コンディションさえ保っていれば、今でも十分にアシに乗れるエンスー車も少なくはありません。
(何台もの旧車を乗り継いで来た筆者が言うのだから間違いありません)

エンスー車を所有するに当たって必要なものは、そのクルマを愛する気持ちと、ほんの少しのお金、あるいは時間だけです。
今回紹介した10台はエンスー車の中でもメジャーなクルマばかりです。

維持が比較的用意で、国内に専門店があり、中古車価格が手頃で見つけやすい車種を中心に紹介しました。
まずは入門として今回ピックアップしたクルマからチャレンジされてはいかがでしょうか?

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この記事の執筆者

山崎 龍この執筆者の詳細プロフィール

1973年1月東京生まれ。自動車専門誌の編集を経てフリーライターに。自動車専門誌を中心に、航空、ミリタリー、映像作品、オタクカルチャー、政治などの 様々なジャンルに寄稿する雑文ライター。 著書に『最強!連合艦隊オールスターズ』『萌えだらけのクルマ選び』(共にイカロス出版)、『「...