日産の人気スポーツクーペ「スカイライン(クーペ)」「GT-R」「フェアレディZ」の車名の由来って?

日産を代表するスポーツクーペであるスカイライン、GT-R、フェアレディZは、世界中で愛されている名車ですが、それぞれの車名には由来があります。その由来を最新モデルと過去モデルの写真とともにまとめてみました。

スカイライン(クーペ)

現行モデル

出典:http://www2.nissan.co.jp/

現行のスカイラインクーペは、2007年に発表された「CV36型」です。
セダンは2014年にフルモデルチェンジして「V37型」になっています。

出典:http://www2.nissan.co.jp/

初代「スカイライン」

出典:http://www2.nissan.co.jp/

「スカイライン」は、プリンス自動車が1957年に発表した小型自動車です。
プリンス自動車は1966年に日産自動車と合併しますが、その後も日産の主力車種として今日まで生産が続けられています。

クーペの先祖的な存在は、1962年に追加された「スカイライン・スポーツ」で、イタリア・カロッツェリアのミケロッティがデザインしたと言われています。

出典:http://f.hatena.ne.jp/

「スカイライン」の由来

プリンス自動車のエンジニアだった桜井眞一郎氏は、サスペンションの専門家として初代モデルの開発に携わっていた頃、スキーで訪れた草津のとある山小屋で見かけた山並みと青空を区切る稜線がなす美しい光景に開発中の車が疾走する姿を重ね合わせその車名を思いついたといわれています。

山並みが、黒に近い青空に銀色の尾根が輝いていて、とてつもなく綺麗だった。
山小屋の親父が、あれをスカイラインというんだと教えてくれたんだ

出典:http://www.gtroc.com/

初代モデルに「スカイライン」と命名した桜井氏はその後、二代目の途中から七代目の途中までスカイラインの開発責任者を務めて「スカイラインの父」と呼ばれていました。

桜井氏が訪れた山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」は現存していて、その壁には記念のプレートが設置されています。

出典:http://www.gtroc.com/

「exciteブログ」より

GT-R

現行モデル

出典:http://www2.nissan.co.jp/

現行の「R35型」は、「ニッサンGT-R」と名乗っていますが、「スカイラインGT-R」の血統を継承するスーパースポーツモデルです。

「GT-R」は搭載エンジンで世代が分けられて、3.8L V型6気筒DOHCツインターボのVR38DETTを搭載する「R35型」は第三世代に分類されます。

出典:http://autoc-one.jp/

第二世代(RB26DETT)

出典:http://www.carsensor.net/

第二世代は、2.6L 直列6気筒DOHCツインターボのRB26DETTを搭載。
これは当時盛んであった全日本ツーリングカー選手権のクラス1に合わせ込んでいて、勝利が宿命づけられた「R32型」は1990年に参戦してからシリーズが終了する1993年まで無敗を誇りました。

出典:http://www.evo.co.uk/

第一世代(S20)

出典:https://goo.gl/

第一世代は、2.0L 直列6気筒DOHCのS20エンジンを搭載。
S20エンジンは、プリンス自動車が日本グランプリで勝利するために開発したプロトタイプのレーシングカー「R380」用DOHC直列6気筒のGR8エンジンをベースに開発されました。

プリンス自動車は、1963年の第一回日本グランプリに「スカイライン1500」で参戦するも惨敗。

翌年の第二回日本グランプリに向けて桜井眞一郎氏は「スカイライン」のホイールベースを延長、「グロリアスーパー6」用の直列6気筒エンジンを無理やり搭載した「スカイラインGT」を開発、一時は宿敵ポルシェの前を走行するも結果は敗北。

その雪辱を果たすべく開発したのが「プリンスR380」だったのです。

出典:http://akabane.exblog.jp/

「R380」は1966年に開催された第三回日本グランプリでポルシェを下して悲願の優勝をします。

「GT-R」の由来

プリンス自動車は、第三回日本グランプリで優勝を手にした直後に日産自動車と合併します。

開発中だった次世代「スカイライン」はプリンス系ではなく日産系のエンジンを搭載して日産自動車から1968年に発表されました。
その年開催の第15回東京モーターショーに「R380の心臓をもつスカイライン」としてS20エンジンを搭載した「スカイラインGT レーシング仕様」が参考出品されました。

翌1969年に、プリンス系であるS20エンジンを搭載した特別な「スカイラインGT」として「スカイラインGT-R」が発売されました。

「GT-R」はプリンス技術陣の魂が宿った高価なエンジンを搭載してレースに勝つことを宿命としたクルマで、その戦跡は49連勝とも50連勝ともいわれていて、その「GT-R神話」は今も語り継がれています。

出典:https://goo.gl/

第二世代の「GT-R」も全日本ツーリングカー選手権に勝つことが宿命づけられていてその後、ルマンや全日本GT選手権などに舞台を変えながら戦ってきました。

そして第三世代は、SUPER GTに参戦開始した2008年シーズンにシリーズチャンピオンを獲得しています。

「GT レーシング仕様」を意味する「GT-R」は、レースに勝ち続けることが宿命づけられたブランドだといえるでしょう。

フェアレディZ

現行モデル

出典:http://www2.nissan.co.jp/

出典:http://www2.nissan.co.jp/

現行の「Z34型」は、2008年に登場した6代目の「フェアレディZ」です。

祖先であるオープンスポーツ「フェアレディ」

出典:http://b-cles.jp/

1963年の第一回日本グランプリで優勝した「フェアレディ1500」は、絶対的知名度を誇る国産スポーツカーとなって、モータリゼーションが進む国内市場の需要を拡大させました。

その一方で、米国日産の初代社長・片山豊氏は「ダットサン」ブランドの北米市場拡販にはライトウェイトスポーツの「フェアレディ」では役不足と感じていて、その後継モデルには「ジャガーEタイプ」のようなイメージリーダーを欲して、本社のゴーサインを取り付けます。

初代「フェアレディZ」

出典:http://n-link.nissan.co.jp/

後に「フェアレディZの父」と呼ばれることになる片山氏は、北米市場のニーズを基調に明確なコンセプトで「Z計画」と呼ばれた開発チームをプロデュースしました。

「アメリカ人は、自由に長距離を移動できるスポーツカーを求めていました。」

出典:http://n-link.nissan.co.jp/

片山氏が望んだデザインは、ロングノーズ・ショートデッキのシャープでダイナミックな造形で、雄大なアメリカ大陸に負けないイメージは必要不可欠であり、サスペンションやブレーキといった足回りやトルクフルなエンジンは、長距離をハイスピードで駆け抜けるためのこだわりでした。

出典:http://n-link.nissan.co.jp/

1969年に登場した初期モデルにはプリンス製のS20エンジンを搭載した「フェアレディZ 432」が存在しましたが、何かの因縁か日産製スポーツカーである「フェアレディZ」との相性が悪く、程なくしてホットモデルは「フェアレディ240Z」に取って代わられます。

「フェアレディZ」の由来

最初に命名された「フェアレディ」とのちに追加された「Z」には別のドラマがあります。

出典:http://b-cles.jp/

日産自動車は、1952年に戦後初の国産スポーツカー「ダットサン・スポーツDC-3」を
発表しますが、国内マーケットが未成熟だったために北米をターゲットに当時人気の
あったイギリスの「MG-T」というスポーツカーを手本とした実験的モデルでした。

出典:http://b-cles.jp/

日産自動車はその後の1959年、北米マーケット向けにライトウェイトスポーツカーとして二代目「ダットサン・スポーツ」を発表します。

この時期に北米視察をしていた当時川又 克二社長がブロードウェイでミュージカル「マイ・フェアレディ」を観て感銘をうけたことから、流麗なデザインには綺麗な響きの車名が似合うとして「ダットサン・フェアレデー」と命名しました。

その後、北米市場での「ダットサン」の未来を危惧していた米国日産の片山社長が「Z計画」をプロデュースします。

出典:http://www.sarago.co.jp/

「Z計画」の開発室には「ゼット旗」という旗が掲げられていたそうです。

この「ゼット旗」は日露戦争の日本海海戦で連合艦隊がバルチック艦隊を対峙する時に背水の陣を意味して旗艦三笠に掲げられた旗として有名です。

「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」

出典:http://tospa-flags.com/

帝国海軍が「ゼット旗」に込めた訓示で、「この戦いに負けたら国が滅びてしまう、
力を合わせて頑張り抜こう」といった意味合いです。

片山氏は「ゼット旗」でチームの士気をあげて、ヨーロッパの高級GTカーに負けない
クオリティの車を廉価で提供することを目指して開発されてライトウェイトスポーツ
からGTカーに格上げされた新型「フェアレディ」が「フェアレディZ」だったのです。

「日本グランプリ」という因縁で結ばれしクルマたち

「プリンス自動車」と「日産自動車」は、第一回日本グランプリでは敵同士でした。
勝ったのは「日産・フェアレディ」で負けた「プリンス・スカイライン」は、必勝体制を敷いて第二回日本グランプリに向けて「スカイラインGT」を開発します。

しかし、第二回日本グランプリは「日産」ではなく「ポルシェ」に負けてしまい、第三回日本グランプリに「プリンスR380」を投入して悲願の優勝を手にしますが、その直後に第一回日本グランプリで辛酸を舐めさせられた日産に吸収合併されて、「R380」は「日産R380」と名前を替えたのちも勝利を重ねてゆきました。

その「R380」のエンジンをベースに旧プリンス技術陣が日産で開発したエンジンを搭載したのが初代「スカイラインGT-R」でレースで輝かしい記録を残しました。
しかし、同じエンジンを積んだ「フェアレディZ 432」はレースに出走するも注目する結果は残されていません。

「日産」が吸収後もレースにおける旧「プリンス」の技術力は、高かったようですが公害対策にリソースを集中するために、レースから撤退したあとは「プリンス」の面影が急激に薄れて行きました。 

車名の由来を紐解くことは、歴史のページをめくるようで楽しくはありませんか?