MOBY

【昔の車は良かった】今の車よりかっこいい昔の車10選!

美術品と云っても過言でないクラッシックカーや、子供の頃にあこがれたスーパーカーとは別に、日本の「モータリゼーション」黎明期からの「国産車」に限定して、影響を与えた、かっこいい昔の車を紹介してみたいと思います。

昔のかっこいい車

Rolls Royce

出典 :©everystockphoto.com/ ndrwfgg

かっこいい昔の車と云うと、クラッシックカー、ビンテージカーが想い起されます。

ヨーロッパのラジエターグリルが直立して、四輪はボディから離れた位置にあるフェンダーで覆われたオープンタイプの、映画「グレートレース」に登場する年代の車は、美術品と言ってもおかしくないと、車好きなら誰しも思うでしょう。

フェラーリ&ランボルギーニ

出典 :©everystockphoto.com/ sfmine79

スーパーカーブーム世代の人達には、子供の頃に「かっこいい!」と追いかけた「フェラーリ」や「ランボルギーニ」はどうなったとの疑問もあるかと思いますが、マンションが買える程高価で、遠くで眺めるだけの車では単なる夢の車でしかありません。

ここでは日本の「モータリゼーション」黎明期からの「国産車」に限定して、今の車と昔の車を比較して行きたいと思います。
当時でも、頑張れば一般家庭でも何とか手が届くものの中から、モータリゼーションに影響を与えた車を選定しました。

昔の車は高価だった

日本が飛躍的に発展した1964年の東京オリンピックの頃の車の価格を見てみましょう。
3代目のコロナ(RT-40)が1964年に登場しました。
初代コロナ(RT-10)通称「ダルマ」コロナ、2代目(RT-20)通称「ティアラ」コロナに続く3代目、通称「電気カミソリ」です。

開通直後の名神高速道路で10万kmの公開耐久テストを実施した、1,500cc 4ドアセダン、4灯ヘッドランプのモデルで、価格は648,000円でした。
1964年当時の学卒初任給は21,200円、2015年のそれは211,562円です。

初任給は9.973倍、およそ10倍になりました。つまり単純に計算すれば、現在ならおよそ650万円になります。

今ならおよそ650万円!3代目コロナ(RT-40)

トヨタ トヨペットコロナ 3代目 1964年

出典:https://ja.wikipedia.org/

それでも1961年頃なら、いすゞがノックダウンしていた1,500ccのヒルマン・ミンクス・ハイスタイルは998,000円で当時の初任給換算なら1,300万円以上していた事を考えれば、僅か3年で大幅に身近なものになって来たのです。

こんな質素な車が今なら570万円超!

富士重工 スバル360 初代 1958年

出典 :©everystockphoto.com/ emrank

1958年(昭和33年)まで遡ると、スバル360はスタンダードが365,000円、デラックスは390,000円でした。
当時の学卒初任給は13,467円です。

スタンダードの車両価格を基準にして、単純に計算すると名目賃金の27.1ヶ月分に相当しますので、5,733,330円になります。
現在のBMW5シリーズのセダン、5,990,000円と比較すると、あの内装剥きだしの、極めて質素な軽自動車が、如何に高価であったかが判るでしょう。

10選の車にほぼ共通するのは、1960年代製の、普通に前後にバンパーがあり、車検証では「箱型」とされるセダンやクーペになりました。
メカニズム的には燃料噴射ではなくてキャブレター(気化器)仕様です。

当時、世間ではボディタイプは「セダン」が主力で、「ステーションワゴン」は商用貨物である「ライトバン」と似ているとの理由で好まれず、「ワンボックス・ワゴン」や「SUV」は未だジャンルが確立されて居ませんでした。

今回選定した車は、オープンカーやスポーツカー、クーペと色とりどりです。
それでは現代の人達が見ても、「なるほどかっこいい!」と同意して貰えそうな「昔の車」を振り返って見たいと思います。

1)マツダ・コスモスポーツ(初代)

東洋工業(現マツダ) コスモスポーツ 初代 1967年

出典:https://ja.wikipedia.org/

1967年(S42年)148万円
4,140mm×1,595mm×1,165mm 491×2cc 2ローターロータリーエンジン 2ドア定員2人

夢のエンジンといわれたロータリーエンジンを搭載した市販車は、本家のNSUバンケルが1964年に発売した「ヴァンケルスパイダー」と云うシングルロータリーの2ドアオープンが世界初でした。
コスモスポーツは世界初の2ローター実用・量産ロータリーエンジンです。

ロータリーエンジンの軽量コンパクトな特性を最大限に活かす未来的なデザインのスポーツカーで、世界中で著名なメーカーが取り組んでも完成することが出来なかった「夢のエンジン」を搭載して、市場投入された僅か1年後の1968年には84時間耐久レース、「マラソン・デ・ラルート」に出走しました。

このレースでは参加59台中、完走26台という過酷なレースでしたが、総合4位を獲得し、デビューしたばかりの新しいエンジンであるロータリーエンジンの耐久性、信頼性に対する世間の懐疑的な評価を払拭しました。

デザインも「かっこいい」けれど、世界中の技術者の夢を実現する「かっこいい」車として第一に挙げました。

マツダ・コスモスポーツに関する情報はこちらの記事

2)トヨタ・2000GT

トヨタ トヨタ2000GT 1967年

1967年(S42年)238万円
4,175mm×1,600mm×1,160mm 1,998cc 3ドアハッチバック定員2人

市販に先立っての1966年、谷田部の自動車高速試験場で6時間、12時間、24時間、48時間、72時間、1,000マイル、2,000マイル、5,000マイル、10,000マイル、2,000km/h、5,000km/h、10,000km/h、15,000km/hの13カテゴリーに挑戦し、それまでヨーロッパの一流メーカーが保有していた記録をすべて塗り替えました。

007シリーズの日本を舞台にした「007は二度死ぬ」で、活躍したので、海外にも認知されています。
クラウン2000に搭載の6気筒エンジンをチューニングして、スポーツカーのエンジンに仕上げたのはヤマハの技術です。

現在にも十分通用するデザインで、バブルの絶頂期には1億円を超す値段がついたこともありました。

トヨタ・2000GTに関する情報はこちらの記事

3)いすゞ・117クーペ

いすゞ117クーペ 初代 1968年

1968年(S43年) 172万円
4,280mm×1,600mm×1,320mm 1,584cc 2ドアクーペ 定員4人

いすゞ社内の開発コード「117サルーン」として開発された「フローリアン」のクーペ版。
カロッツェリア・ギアに委託されたデザインが秀逸です。

いすゞは、英国ルーツグループのヒルマンをノックダウンした経験を活かして1962年に「ベレル」で乗用車に進出しました。
その後1963年に「ベレット」を発売し、1964年に「ベレットGT」を追加しますが、
1967年に登場した「フローリアン」は、ベレットGT用のエンジンを流用して「ベレル」と「ベレット」の中間を埋めるジャンルの乗用車でした。

117Coupe エンブレム

出典 :©everystockphoto.com/ kemeko1971

このフローリアンのクーペ版で、ハンドメイドに近い、人手をかけた造りでした。
フロントグリルに唐獅子のエンブレムがあしらわれ、エキゾチックなムードを備えます。

いすゞ・117クーペに関する情報はこちらの記事

4)プリンス・スカイラインスポーツ

プリンス (現日産) スカイラインスポーツ 初代(クーペ) 1962年

1962年(S37年) 185万円/(コンバーチブル195万円)
4,650mm×1,695mm×1,385mm/(コンバーチブル1410)1,862cc 2ドアクーペ定員5人/(コンバーチブル定員4名)

1960年のトリノショーに出品されたミケロッティがデザインした車で、クーペとコンバーチブルがありました。
斜めに配置された4灯式ヘッドランプが印象的です。
ノスタルジックなムードを醸し出すホワイトリボンタイヤを履いています。

プリンスは1966年に日産と合併しましたが、当時のエンジン技術はプリンスが優れていたので、日産のL型2,000ccエンジンのスカイラインよりも、排気量が小さな旧プリンスのG型1,800ccエンジンを搭載したスカイラインの方が評価が高い時期がありました。

プリンスと合併後の日産・スカイラインに関する情報はこちらの記事

5)日野・コンテッサ1300クーペ

日野 コンテッサ1300クーペ 1964年

1964年(S39年)65.5万円
4,150mm×1,530mm×1,340mm 1,251cc 2ドアクーペ定員5人

日野はルノー4CVのノックダウン生産で学んだ技術を活用して、「コンテッサ900」を発売しました。
RR(リヤエンジン・リヤドライブ)のルノーで学んだ通り、RRレイアウトで、「VWかぶと虫」や、「スバル360てんとう虫」に似たルノー4CVからは、すっかりイメージを変えた角型ボディシェルとなりました。

続いて上級車種として登場したのが「コンテッサ1300」です。
4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプがありましたが、「コンテッサ1300クーペ」はミケロッティがデザインし、コンクール・ド・エレガンスで受賞した、美しいスタイルが魅力です。

三船敏郎が率いる「チーム・サムライ」が、タバコの箱を寝かせた位の最低地上高レギュレーションをクリア出来ずに、レース出走できなかった場面に遭遇しましたが、もう少しだけ車高が高ければエレガントな車体の活躍が見られたのにと、残念だった事も想い起されます。

日野自動車に関する情報はこちらの記事

6)トヨタ・スポーツ800

トヨタ トヨタスポーツ800 1965年

出典 :©everystockphoto.com/ kemeko1971

1965年(S40年)59.5万円
3,500mm×1,465mm×1,175mm 790cc 2ドアタルガトップクーペ 定員2人

東京モーターショーに参考出品された時は、デザイナーが航空技術者だった事も影響しているのか、戦闘機のキャノピーのような形状でしたが、実用的では無いので、市販された時は、普通のドアを備えて登場しました。

車のルーフ部分だけが外せて、オープンとなるタルガトップ(デタッチャブルトップ)です。
この形状はトヨタ・スポーツ800の方が先でしたが、ポルシェが採用してタルガトップの名称が拡がったので、ここではタルガトップとします。

戦闘機のようなキャノピーのショーモデル

トヨタ パブリカスポーツ ショーモデル

エンジンはパブリカの700ccを100cc拡大して、ツインキャブにした空冷4サイクル2気筒エンジンと、そっけない心臓でしたが、空力に優れ、レースでも浮谷東次郎が操るトヨタ・スポーツ800と、生沢徹のホンダS600の激闘は語り草になっています。

トヨタ・スポーツ800に関する情報はこちらの記事

7)ホンダ・S500

ホンダ HONDA S500 1963年

1963年(S38年)45.9万円
3,300mm×1,430mm×1,200mm 2ドアオープントップ 定員2人

1962年のモーターショーにS360とS500が出展されましたが、軽自動車枠のS360は断念され、1963年ホンダが市場投入したのは普通車としてのS500でした。
その後、1964年にはS600となり、1966年にS800となります。
S360は軽自動車としての発売に期待が集まりましたが、軽の枠ではT360と云う4連キャブを装着したトラックだけが市場投入されました。
レースではトヨタ・スポーツ800との対決が注目を浴びました。

オートバイメーカーとしての技術をふんだんに盛り込み、お手の物の高回転高出力DOHCエンジン以外に、通常のFRレイアウトにつきもののデフと後車軸に代わってファイナルドライブにローラーチェーンを採用、空いた空間に燃料タンクを納めてトランクスペースを稼いだりと、ユニークな設計をしています。

市販されることは無かったS360

当時の軽自動車枠はサイズは3,000mm×1,300mm×2,000mm、排気量は360ccでした。
特に「スポーツカー」としての動力性のを持たせるために、水冷直列4気筒、DOHC4連キャブを装備した「軽スポーツカー」が1963年頃に発売されていたら、当時の軽自動車としては飛び抜けた性能であったと思われます。

S360が発売されていたら、断然こちらの方が「かっこいい!」となったでしょう。

ホンダ・S600に関する情報はこちらの記事

8)マツダ・ルーチェ(初代)

マツダ ルーチェ1500 初代 1966年

出典:https://ja.wikipedia.org/

1966年(S41年)69.5万円
4,585mm×1,635mm×1,385mm 1500cc 4ドアセダン 定員6名

ベルトーネスタジオに在籍したジウジアーロの手になる、エレガントなデザインがかっこいい車です。
このクラスのライバル車は5人乗りでしたが、フロントをベンチシートにして、コラムシフトの6人乗りで登場しました。
クラウンやセドリック、グロリアといった2000ccで小型5ナンバー枠一杯の車種以外は6人乗りの設定が無く、このクラスでの6人乗りは魅力的でした。

1967年に登場したいすゞフローリアンもこのコンセプトを踏襲しています。翌1967年にはツインキャブ搭載のフロアシフト5人乗り「SS」、1968年には1,800ccが追加されました。

RX-87 ルーチェ・ロータリークーペ

マツダ ルーチェロータリークーペ(RX-87) 1969年

出典:https://ja.wikipedia.org/

注目すべきはRX-87としてモーターショーで発表され、1969年(S44年)に登場した「ルーチェ・ロータリークーペ」です。

ルーチェ・ロータリークーペはイメージは踏襲しながら、655×2ccの13Aロータリーエンジンを搭載した、FFの2ドアハードトップです。
13Aエンジンはコスモスポーツの10Aエンジンとローター幅は一緒で、まゆ型のローターハウジング径が一回り大きなエンジンでした。
因みに、後に登場する13Bエンジンは10Aのローターハウジング径は同じで、ローター幅を伸ばした654×2のエンジンです。

フロントドアにつきものだった三角窓を廃止したピラーレスの美しいスタイルで、フル装備の高級パーソナルカーでした。
動力性能、走行安定性能は文句なしでしたが、パワーステアリングのフィーリングが「アメ車」の様で、運転に慣れていない者に運転させると過敏な反応であったのが唯一の問題点だったと思います。

マツダ・ルーチェに関する情報はこちらの記事

9)富士重工・スバル360

富士重工 スバル360 1958年

1958年(S33年)36.5万円
2,995mm×1,300mm×1,300mm 2ドアセダン 定員4人

スバル360が登場した1958年は、米国初の人工衛星エクスプローラ1号が打ち上げられ、関門トンネルが開通し、東京タワーが竣工し、新一万円札が登場した年です。

また、この年は、ホンダ・スーパーカブ、日清チキンラーメン、アサヒから日本初の缶ビールが発売されました。
今上天皇がご婚約を発表されて、ミッチーブームが起こり、長嶋茂雄選手がデビューして川上哲治選手が引退した年です。

冒頭でも話題にしましたが、学卒初任給が13,467円の時代の36.5万円ですから、現在なら570万円を超える金額でした。

空冷2サイクル2気筒エンジンをリヤに搭載した、VWビートルと同じ様なレイアウトで、外見も似通っていたので、VWの「かぶと虫」に対して、「てんとう虫」と呼ばれました。

当時の軽自動車では、1962年(S37年)に登場した「マツダ・キャロル」がライバル関係にありました。
キャロルは同じRRながら、水冷4サイクル4気筒で、4ドアモデルもあり、内装も豪華でした。

しかし、スバル360は合理的な設計を貫いた車でした。
スバル360は、コンバーチブルや、カスタムといったバリエーションも展開し、国民的な名車と呼ぶにふさわしいと思います。

スバル・360に関する情報はこちらの記事

10)スズキ・フロンテ800

スズキ フロンテ800 1965年

1965年(S40年)54万円
3,870mm×1,480mm×1,360mm 2ドアセダン 定員5人

最後に、少し毛色の変わった車を選びました。
2サイクル3気筒エンジンを搭載したFFの車です。

スズキは、1955年(S30年)~59年に「スズライト」というFF軽四輪を生産し、その後継車として1962年(S37年)~67年「スズキ・フロンテ」をFF機構を採用しました。
2代目の1967年(S42年)フロンテは、一転してRR機構となります。

フロンテ800は、スズキがFFで車を設計していた時代のモデルで、ドイツのDKWF102がそのお手本となっています。

1960年代中期は、マツダ・ファミリア800、ダイハツ・コンパーノ800、トヨタ・パブリカ800、三菱・コルト800と、800ccは激戦区でした。
パブリカは4サイクル空冷2気筒700ccで登場し、1966年に800ccに排気量を拡大したのです。
コルト800とフロンテ800は2サイクル3気筒のエンジンでFRとFFの違いがありました。

結局この時期の800ccクラスは、オーソドックスな4サイクル水冷4気筒でFRのマツダ・ファミリアとダイハツ・コンパーノが順当に販売を伸ばしましたが、エンジンやFF機構にチャレンジしたフロンテ800は或る意味でかっこいいと考えます。

スズキに関する情報はこちらの記事

昔の車は小型車(5ナンバー)枠内でデザインされていた

Toyota2000GT 007 Bond Car

いかがでしたか?
選んだ昔の車は殆どが小型車(5ナンバー)枠である全長×全幅×全高が4,700mm×1,700mm×2,000mm以下に納まっています。

最近の乗用車は、ファミリーカーでも3ナンバーが多いのは、特に全幅が広くなっているからです。
因みに、トヨタ・プリウスのサイズは4,540mm×1,760mm×1,470mmで、トヨタ2000GTの4,175mm×1,600mm×1,160mmと較べても、その大きさが判ります。

007に登場したトヨタ2000GTがオープンカーだったのは、一説にはオリジナルのクローズドボディでは、ジェームス・ボンド役のショーン・コネリーが窮屈すぎたからとも云われています。

どの車にも共通するのは、まだドアミラーが認められていなかった時代だったため、ミラーはフェンダーにありました。
前後には、明らかに目立つメッキのバンパーを備えますが、ボディサイドのラインとの繋がりで如何にかっこよく表現するかも、デザイナーの腕の振るいどころだったでしょう。

初代コスモスポーツ

出典 :©everystockphoto.com/ Netcars.com

第一に挙げたコスモ・スポーツを例にとれば、コンパクトなロータリーエンジンのおかげで低く抑えられたボンネットと、バンパーではっきりと上下に二分された下部のラジエター開口部、フロントホィールアーチ上部のラインと後部へ真っ直ぐに伸びたベルトラインがリヤバンパーに繋がります。

デザインの自由度は上がりますが、昨今の、ボディに一体化した前後の緩衝部(バンパーの役割を果たす)は、万一当てた時には最悪です。

ホンダ・Sシリーズやトヨタ・スポーツ800の様な、小排気量エンジンのパワーのピークを常に捉えながら走る愉しみも、今の車には失われた様に感じるのは「郷愁」なのでしょうか。

あなたの愛車の査定金額が気になる方はこちら!

【2016年開始】新しい車の買い取り高額査定サービス

旧車・クラシックカーに関する情報はこちらの記事

最新車種に関するおすすめ情報はこちらの記事

この記事の執筆者

沢ハジメこの執筆者の詳細プロフィール

運転歴は50年を超え、自動車メーカー勤務と系列販社6社への出向・駐在での経験、リタイヤ後に勤務した米国日本法人での自動車メーカー、関連部品メーカー向け試験装置営業を通じて、国内はもとより海外の業界事情も通暁しています。 好きな車はコスモスポーツ(L10B)です。...