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日産サニーの歴史と現在の中古車価格は?【日本の名車】

ひとつの時代を圧巻した日産サニー。その歴史と現在の中古車価格を紹介します。 記憶に新しい日産サニーのヒットにはどのような歴史があったのでしょうか。 そして気になる中古車価格は? めくるめく日産サニーの世界へご招待します!

日産サニーってどんな車?

日産サニーは日産自動車を代表する大衆車です。
ファミリーカーの代名詞ともいえる同車は、典型的なコンパクトカーとして日本の自動車産業を支えてきました。
4ドアセダンを基本とするラインナップは以下のとおりです。

□4ドアセダン
□2ドアセダン
□クーペ
□3ドアハッチバック
□5ドアステーションワゴン
□ライトバン
□ピックアップトラック

人気車種として多くのモデルを排出してきた日産サニーは、家族の休日を支えただけでなく、スポーツカーや商業車としても活躍し、幅広い層から親しまれました。

【日産サニー前史】日産自動車の歴史

出典:©iStockphoto.com/tanuha2001

日産自動車の始まりは1910年。鮎川義介氏が設立した「戸畑鋳物株式会社」がその前身となりました。
マレブル(黒芯可鍛鋳鉄)継手の製造から始め、1924年には農業用・工業用・船舶用石油発動機(現ディーゼルエンジン)を手掛けます。

1931年の「ダット自動車製造」買収を経て、翌1932年、ダットサンブランドが誕生。
そして、1934年に「日産自動車株式会社」の名が初めて使われます。

日本の十五大財閥のひとつ「日産コンツェルン」の一員として順調に先進技術を取り込んでいった日産自動車は、1950年代末に小型乗用車「日産ダットサン・110/210型系」をヒットさせると、1960年代初頭にはそれに続く「日産ブルーバード」で大成功を収めました。

【日産サニーの歴史】日産サニーの誕生

ブルーバードの大型化と小型車の開発

発売当初は1,000cc~1,200cc級であったブルーバードのボディは大型化し、1967年には1,300cc以上の中級モデルへ移行されます。

一方、当時最大のライバルであったトヨタ自動車は700cc級の「トヨタ・パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し、一定の成果を挙げていました。

その他の中堅メーカー各社も700cc~1,000cc級の小型車で市場参入をすすめていたことから、そのクラスのベーシックカーが空位となっていた日産自動車内ではこれを危惧する声が挙がります。

ブルーバードとの同士討ちになりかねないエントリーモデルの開発に当時の川又克二社長は消極的でしたが、開発陣の説得により1966年、1,000cc級の「日産サニー」が小型車市場に投入されました。

トヨタ・カローラとの競争

日産サニーは、日産自動車の最小排気量クラスを担う主力車種として、高度経済成長期からバブル経済期までのベストセラーカーとなりました。

大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在であり、その最盛期には販売台数の熾烈な争いを繰り広げます。

この「CS戦争」とも呼ばれる競争は、日産サニー、続いてトヨタ・カローラが発売された1966年より、約40年にわたって続けられることになるのです。

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【日産サニーの歴史】日産サニーの変遷

日産サニーの変遷

出典:http://www.goo-net.com/

後輪駆動車時代(1966年~1983年)

トヨタ・カローラに先立って開発された初代日産サニーは、2ドアセダンから先行発売されます。
ボディのデザインや前輪サスペンション構造など、西ドイツの大衆車「オペル・カディット」の影響が非常に強いものでした。

以降、後輪駆動時代のサニーは、アメリカ資本の欧州メーカー製小型乗用車からの影響を受け続けることになります。

2代目サニーは初代のエンジンから100ccアップした1,100ccエンジンを搭載し、「プラス100ccの余裕」のコピーを掲げた初代カローラを意識した「隣のクルマが小さく見えます」というコピーを発表しました。

まさに、日産サニーとトヨタ・カローラの「追い越し追い越され」の関係性の象徴といえるエピソードですね。

また、北米市場では当時の市販車における最良の省燃費車であることが評価され、日産車の販売実績向上に大きく貢献しました。

前輪駆動車への改変と日本での終売(1981年~2004年)

日産サニーの変遷

出典:http://www.goo-net.com/

1981年、モデルチェンジと同時に、時代の趨勢に合わせた前輪駆動方式に改められた日産サニー。
それまでの正式名称は「ダットサン・サニー」でしたが、このとき正式に「日産サニー」という名が冠せられます。

それに続くモデルチェンジを施された1985年、6代目日産サニーは品質、性能ともに大きく向上を果たし、サニー初の4WDもラインナップされました。
また、アジア圏でタクシーとして使われることも多く、香港、マレーシア、インドネシアなどでも重宝されました。

1998年、前年に発売された9代目日産サニーはB15型にモデルチェンジします。

翌1999年に追加された「2.2Diスーパーサルーン」「2.2Di EXサルーン」に搭載されたYD22DD型NEO Di直噴ディーゼルは、日産自動車が販売するセダン型小型乗用車としては最初で最後の採用でした。
そして2004年、日産サニーB15型の販売は終了し、38年の歴史に幕を閉じるのです。

海外での終売(2004年~2006年)

出典:http://www.goo-net.com/

2004年以降も海外での販売は続けられ、2005年にはパキスタンへの輸出も開始されましたが、2006年、海外向けの日産サニーB15型の生産も完全終了し、その名は世界から消えることになります。

以降、日産自動車が扱うこのクラスのセダンは「日産ティーダラティオ」(のちの「日産ラティオ」)が担うことになります。

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【日産サニーの歴史】SC戦争の脇を彩る3種のボディタイプ

ここまでは、セダンタイプを中心とした日産サニーの歴史を紹介しました。
しかし、日産サニーはそれだけではありません。
セダンタイプがトヨタ・カローラとの販売争いを繰り広げる脇で、静かに活躍していた3種のシリーズがあります。

それが、サニートラック・サニークーペ・サニーバンです。
この3種の歴史は古く、サニークーペとサニーバンは初代が発売された1966年、サニートラックは翌1967年に登場しました。

サニートラックの歴史

mitsuhiroさん(@e.n.o.1)が投稿した写真 -


1971年、前の年に乗用車サニー(セダン・クーペ・バン)がモデルチェンジをしたことに合わせて、サニートラックも2代目の「B120型」へ移行します。

1973年には従来のショートデッキに加えロングバージョンが登場し、ファンのあいだでは「サニトラ・ショート」「サニトラ・ロング」と区別されるようになります。
そして同じ年、乗用車サニーは2回目のモデルチェンジが行われました。

しかし、サニートラックはB120型が継続して生産され、その後はマイナーチェンジを繰り返しながらも、国内向けで1994年、海外向けにいたっては2008年まで続くロングセラーとなりました。

長い期間フルモデルシェンジなしで生産され続けたのは、ひとつには後続モデルがピックアップトラック化を考慮していなかったから。そしてなにより、B120型の設計が非常に優れていたからです。

サニートラックは国内生産が終了して20年以上経つ現在も、アメリカ車のようにクラシックなデザインで新しいファンを生み続けています。

サニークーペの歴史

1971年、4ドアセダンとクーペに、より性能面を強化したエクセレントシリーズが追加されました。
そして1973年、日産サニー2回目のモデルチェンジの際に、サニークーペの形状は大きく変わります。

ハッチバック(テールゲート)が大型になり、エクセレントシリーズには丸形3連のテールランプが採用されました。
そのことから、このエクセレントシリーズのサニークーペは「ロケット・クーペ」「ロケット・サニー」とも呼ばれています。

個性的なデザインと取り回しのよさ、そしてコンパクトでありながらパワフルな走り。ロケット・サニーは一定の評価を得ましたが、1977年のモデルチェンジにあたりエクセレントシリーズは廃止となりました。

そして1981年、サニークーペ(2ドアクーペモデル)は次のモデルチェンジを待たずに生産終了となるのです。

サニーバンの歴史


セダンより先にスタイリングが決まり、セダンのデザインの基になったといわれるサニーバン。
セダン同様、スタイルの良い商用車として、多くのニーズに応えてきました。

1970年のモデルチェンジでは2ドアから4ドアに変更し、テールゲートも1枚の跳ね上げ式になりました。

そして、1973年から販売が始まった3代目サニーバン以降は、2ドア・4ドアの2タイプが用意されるものの、1982年にサニーバン・4ドアタイプ、1983年に2ドアタイプが販売を終えます。

その後、サニーバンを含む日産自動車の手掛けていたライトバンモデルの後継車種として「バンAD」が発売され、現代でも主に商用車として国民の生活を支えています。

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【日産サニーの歴史】モータースポーツでの活躍

日産サニーは、数多くのモータースポーツにおいて実績を残しています。
その主なものを紹介します。

・1967年 オーストラリアのバサースト500マイルレースでクラス優勝
・1968年 マレーシアGPでクラス優勝
・1968年 全日本選手権、雨の鈴鹿サーキットで宿敵トヨタ・カローラを下す
・1970年 全日本富士ストックカー200マイルレース TS1300クラスで優勝
・1973年 ‘73年日本グランプリ TS aクラスで優勝
・1974年 74全日本選手権鈴鹿フォーミュラレース SS1クラスで優勝
・1974年 74 JAグランプリSS1クラスで1-2位獲得
・1975年 75日本グランプリ TSクラスで2位獲得
・1977年 JAF富士グランプリ TSクラスで2位獲得
・1992年 全日本ダートトライアル選手権CⅡクラスでチャンピオン獲得
・2004年 SCCAスポードワールドチャレンジ・ツーリングカーシリーズに参戦
・2004年 第3戦アハイオ州レキシントン ミッドオハイオ・スポーツカー・コースで3位入賞
・2004年 第4戦インフィネオン・グランプリ カルフォルニア州ソノマ インフィネオン・レースウェイで3位入賞
・2004年 第5選インフィネオン・グランプリで24位完走

1960年代から1970年代にかけての活躍には目を見張るものがありますね。
特に1970年から1973年にかけて製造された2代目日産サニーは、生産中止後も長期にわたってレースフィールドで強豪モデルとしての地位を保ち続けました。

日産サニー・現在の中古車価格

実用性と経済性、信頼性、安心感に優れた日産サニーは、優れた大衆車として長い期間市場に君臨し続けていましたが、1990年代中期以降、日産車全体のシェア低迷と小型セダン離れ、そしてユーザー層の高齢化などから市場での存在感も希薄となっていきました。
しかし、現代の車にはないその独特のフォルムや落ち着きのある走りから、今でも一定のファンを持つのがこの日産サニーです。

日産サニーの中古車情報はこちら


FE
15.0万円
本日の在庫
79
平均価格
52.8 万円
本体価格
0 ~ 310 万円

日産サニーは大量消費の時代を支えた名車


今回は日産サニーの歴史と現在の中古車価格を紹介しました。
そのおとなしい走行からは想像しがたい、アグレッシブな歴史を駆け抜けてきたのですね。
カー雑誌『絶版日本車カタログ』(三推社・講談社68頁)では、CS戦争について「良くも悪くもこの時代のメーカーと大衆双方が持っていた上昇志向を象徴するものとして、後年まで広く伝えられている」と評価しています。
人と共に頂点を目指してきた車、かっこいいじゃないですか。
生産が終了してしまったことは非常に残念ですが、街で走っている姿を見かけるとふるさとのような懐かしさを覚え、それもまた感慨深いものです。
サニー時代を一緒に走ってきた人もそうでない人も、ぜひ興味が湧いたら中古車を検索してみてください。
現代車にはない独特のフォルムと、扱いの良さにかけては超一級のすばらしい車です。

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