伝説のF1レーサー アイルトン・セナとは|事故の真相や死因・名言からセナ足についても

「音速の貴公子」と呼ばれた天才F1レーサー「アイルトン・セナ」。彼が突然この世を去って真の伝説になってしまってから、はや20年あまりが過ぎようとしています。今回は、天才F1レーサー「アイルトン・セナ」の逸材ぶりや、セナ足の由来、名言、事故の真相・死因まで、彼の全てをご紹介します。

天才F1レーサー「アイルトン・セナ」の生涯(1960年~1994年)

アイルトン・セナの生い立ち

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出典:http://driving.ca/auto-news/entertainment/gallery-happy-birthday-to-f1-legend-ayrton-senna

伝説のF1レーサー アイルトン・セナとは2

出典:http://www.ayrtonsenna.com.br/historias/dentro-das-pistas/kart/temporada-1973/

アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)は、1960年ブラジル・サンパウロで農場や整備工場を営む家庭の長男として誕生しました。

家庭は裕福で、4歳の時には、父お手製のカートがプレゼントされるなど、幼少期から車に触れる機会に恵まれていたようです。
8歳の時には、父のジープをいとも簡単に運転してしまうなど、天性のカーセンスを感じさせる逸話が残っています。

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アイルトン・セナ「カートレース・ジュニアフォーミュラー時代」

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出典:http://www.ayrtonsenna.com.br/historias/dentro-das-pistas/kart/1982-2/

アイルトン・セナの車への情熱はその後も輝きを増し、13歳からはカートレースの虜となります。
17歳では、南米カート選手権のチャンピョンに登りつめ、次なるステップを見据えイギリスへと渡る決意を固めます。
アイルトン・セナ21歳の時には、フォーミュラーフォード1600に参戦し、ここでも非凡な才能を発揮させ優勝を果たしました。
この後、家族の反対で、一時ブラジルに帰国しますが、レースへの情熱が捨てきれず、再度イギリスへ戻ることとなります。
そして、22歳でフォーミュラーフォード2000へ参戦し、ここでもチャンピョンの座を射止めることとなりました。

アイルトン・セナ「F3時代」

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23歳になったアイルトン・セナは、F1への登竜門となるF3に参戦します。
誰もが皆、F1へのステップとしてしのぎを削るこの階級で、アイルトン・セナは開幕から9連勝を果たします。
初めてF3参戦したその年は、なんと20戦中12勝、年間チャンピョンの栄光を手に入れました。

数ある有望ドライバーの中でも、その才能は抜きんでていて、F3在籍一年で、カーレースの最高峰F1へと駆け抜けていくのです。

アイルトン・セナ「F1・トールマン時代」

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出典:https://oneimagef1.wordpress.com/tag/toleman/

24歳で、レースに関わる誰もが夢とするF1に参戦したアイルトン・セナ、数あるオファーの中から彼が選択したチームは、決して有力ではなかった「トールマン」でした。
誰もが意外に感じたこのトールマン入りは、当時アイルトン・セナ獲得の最有力とされた「ブラバム」のファースト・ドライバー「ネルソン・ピケ」がセナ入りを嫌がったことが原因とされています。
トールマンでは、非力マシーンにも関わらず、雨のモナコGPで、後の永遠のライバル「アラン・プロスト」を一周毎に追い詰める激走を見せました。

アイルトン・セナ「F1・ロータス時代」

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出典:https://www.gtplanet.net/forum/threads/lotus-99t-honda-ayrton-senna-1987.311250/

25歳となったアイルトン・セナは、F1の名門チーム「ロータス」入りを果たします。
ロータスでは、2戦目のポルトガルGPで、自身初となるPP(ポールポジション)をつかみ、優勝を獲得します。

激しい雨というコンディションの中、3位以下を全て周回遅れとしたこのポルトガルGPの激走で、彼は「レイン・マスター」という称号を不動のものとするのです。

また、27歳の時には、ロータスのエンジンが念願の「ホンダ・エンジン」となり、「中嶋悟」がチームメイトとなりました。
日本GPでは、2位フィニッシュを果たし、ホンダ・エンジンに初となる母国での表彰台という栄誉をもたらしたのです。

アイルトン・セナ「F1・マクラーレン時代」

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28歳で、マクラーレンに移籍したアイルトン・セナは、因縁のライバル「アラン・プロスト」とチームメイトとなります。
赤と白ツートンカラーのシャーシには、ホンダ・エンジンが搭載され、当時の日本のF1ファンの間では、日の丸カラーのシャーシで、アイルトン・セナが奏でるホンダ・サウンドが聞けると、感動を呼んだものです。

しかし、天才ドライバー2人のライバル対決は熾烈をきわめ、2人の成績よりも深刻化していきます。
ついにプロストはフェラーリに移籍し、アイルトン・セナは2年連続チャンピョンに輝くこととなりました。

また、31歳では、それまで一度も達成できずにいた母国ブラジルGPで初優勝を果たし、ゴールした後号泣したアイルトン・セナの姿は、ファンの人々に感動をもたらしました。

アイルトン・セナ「F1・ウィリアムズ時代」

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F1が、よりいっそうハイテク化の波にさらされ、本田総一郎氏の死去に伴いホンダがF1撤退を発表する中、34歳のアイルトン・セナはウィリアムズに移籍します。
当初、これでアイルトン・セナの常勝は決定的だと評されますが、あまりのハイテク化に歯止めがかけられるルール変更が実施され、アイルトン・セナの前には暗雲が立ち込めます。

ルール変更は、前年のF1覇者ウィリアムズのマシン設定を不安定なものとしてしまい、アイルトン・セナは、開幕から2戦とも途中リタイアとなってしまうのです。
そして、運命の第3戦サンマリノGP、レース途中でアイルトン・セナは突然ファンの前から姿を消してしまいました。

アイルトン・セナの最大の武器「セナ足」とは?

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現在のF1レースで使用される車は、最先端の電子デバイスが搭載され、ドライバーがアクセルを踏みすぎてもホイルスピンにつながらないように自動制御してくれるTCS(トラクション・コントロール)が許されています。

しかし、アイルトン・セナがF1に参戦していた1980年後半から1990年には、TCSは許可されておらず、アクセルのコントロールは、ドライバー自らが足でコントロールする必要がありました。
アイルトン・セナは、この足さばきがまさに神がかっていて、グリップだけでなく、細かくアクセルを足でオン・オフすることで、コーナリングのエンジン回数を保ったり、車の向きを保ったり、トルク落ちを防いだりすることができたのです。

いつしか、このアイルトン・セナにしか行うことができない足さばきは、「セナ足」と呼ばれ、「レインマスター」「音速の貴公子」とともに、天才F1カーレーサー「アイルトン・セナ」への称号となっていったのです。

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アイルトン・セナの事故と死因の真相

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事故の真相で有力視されているのは?

現在に到るまで、事故の真相・原因は確定されておらず、短すぎるアイルトン・セナの生涯とも相まって、諸説が語られます。
その中でも一番有力だと言われているのは、ステアリング・シャフトのトラブルによるものだというものです。

事故当時、アイルトン・セナが乗っていた「ウィリアムズFW16」は、FW14を母体としたマシンでした。
FW14は、その当時のウィリアムズのファースト・ドライバー「ナイジェル・マンセル」に合わせ作られていたのです。

アイルトン・セナのスタイルに作り替え?

ナイジェル・マンセルは、F1ドライバーの中でもパワフルなドライビングが特徴で、ステアリングには非常に小さいものを好んで使用していました。
ウィリアムズFW16のモノコックの設計も、これを引き継ぐ形で行われていたのです。
しかし、アイルトン・セナは逆に、ステアリングには大きいものを好んでいたため、FW16に望むものを付けると、ステアリングの位置を下にずらさなければなりません。

ずらすと、今度は、アイルトン・セナの膝がステアリング・シャフトに当たってしまう不都合が生じます。
そこで、シャフトを切断し、膝が当たってしまう部分のみ細いパイプを通し、元のシャフトと溶接する方法がとられたのです。

幾重にも重なった事故の原因

当日のサンマリノGPは、最初の事故の影響で、セーフティーカーが導入されていて、路面は事故車両の破片が残っており、非常に危険なコンディションとなっていました。
しかし、それ以前の2戦ともリタイア続きだったアイルトン・セナは、その2戦とも優勝をさらったミハエル・シューマッハの前を危険を顧みず走行し、超高速コーナー「タンブレロ」にさしかかります。

バンピーな路面、超高速コーナー、そして作り変えられたステアリング・シャフト、原因が幾つも重なった結果、ステアリング・シャフトは折れ、走行不可能となります。
アイルトン・セナは、必死にシフトダウンしようとしますが、間に合わず、無残にも車はコンクリートウォールに激突してしまいました。

アイルトン・セナの死因

サンマリノGPが開催された「イモラ・サーキット」のコンクリートウォールに激突したアイルトン・セナの死因は、右フロントホイールが衝撃で頭部を直撃した結果だと言われています。
すぐさま、ドクターヘリでマジョーレ病院と運ばれますが、脳死状態となり、レースから約4時間後に残念ながら、この世から去ってしまいました。
孤高の天才F1カーレーサー「アイルトン・セナ」享年34歳の突然の不幸は、全世界に報じられ、世界中のファンが悲しみにくれたのです。

アイルトン・セナが残した名言とは?

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アイルトン・セナの名言【その1】

重要なのは、勝つこと。
それ以外は、全て結果でしかない。

アイルトン・セナの名言【その2】

パフォーマンス、コミットメント、努力、渾身さに関しては中間なんて存在しない。
やり遂げるか、やらないかのどちらかだけだ。

アイルトン・セナの名言【その3】

もし、何かで大成功したかったら、完全に専念し、自分の限界を追求し、ベストを尽くさないといけない。

アイルトン・セナの名言【その4】

あなたが誰であろうとも、どんなに地位が低かろうとも、常に全力で、渾身的に取り組み、全てに愛を込め、神への感謝の心を持てば、いつかはきっと、たどり着けるから。

アイルトン・セナの名言【その5】

もし、死が自分をこの世から連れ去ろうとするなら、カーブの途中で力の限りに連れ去って欲しい。

音速で逝ってしまった天才「アイルトン・セナ」

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アイルトン・セナは、地位も名誉もお金も手に入れた天才でありながら、いつもその表情は憂いを含んで、少し哀しげに見えました。
34歳という若さで、まさに人生を音速で駆け抜けるように逝ってしまってから、早いもので20年あまりが過ぎてしまいました。

今では、諍(いさか)いや争いのない世界で、早世の天才F1カーレーサー「アイルトン・セナ」は、憧れだったホンダ・オーナー「本田宗一郎」氏とゆっくりエンジン談義をしているのかも知れません。

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