【自動車の歴史】フィアットの歴史、ルーツと車種の特徴を知ろう!

街中で見かけることも多い、おしゃれなイタリア車フィアット。そんなフィアットの歴史は100年以上にもわたり、自動車が誕生してからの歴史とほぼ等しいものです。2014年にはアメリカのビックスリーの一角であったクライスラーを完全子会社化し、本格的なグローバル化を目指しています。今回はそんなフィアットの長い歴史をご紹介します。

フィアットの歴史の始まり

フィアットの誕生

フィアットという名称は、「トリノのイタリア自動車製造所」という意味の「Fabbrica Italiana Automobili Torino」というイタリア語から来ています。
1899年、トリノのブリケザリオ伯爵家に9人の名士が集まり、自動車会社設立の書類に著名したことからフィアットははじまります。

養蚕業を営んでいたジョバンニ・アニエッリもそのひとりでした。
当時、多くのメンバーが自動車をつくってレースに参加したいというだけの考えだったのにもかかわらず、アニエッリはヨーロッパの自動車産業を牛耳っていたフランスの自動車会社に打ち勝つことを目標としていました。

そうして、事業が始まるとアニエッリは先頭に立って計画を推し進めていきます。
自動車をつくる工場に適した土地を自分で探し、設備を買い取り自動車の生産を始めました。
レースで勝利を重ねてフィアットの評判を高めると、1902年、アニエッリはフィアットの代表取締役となります。

その後アニエッリは1906年にフィアット社を一度解散させてしまうのです。
フィアット社を解散させると、彼は資本金900万リアで新たに会社を興しました。
経営権を完全に掌握するためです。
すごい力技ですよね!

フィアットの兄弟 アバルトについてはこちら

第一次世界大戦とその後のフィアット

築き上げられたフィアット帝国

ジョバンニ・アニエッリ

出典:https://gazoo.com/

アニエッリが新たにフィアットを立ち上げたあと、イタリアは深刻な不況に陥ってしまいます。
また粉飾決算のスキャンダルもあり、会社は倒産の危機に。
しかしその直後に始まった第一次世界大戦によってフィアット社は急成長することとなりました。
フィアットは軍用自動車や兵器を製造し、また飛行機や船舶の生産手掛けたのです。

その後製鉄業や電機会社、保険や銀行にも業務を広げたフィアットは、一大コングロマリットを築き上げます。
フィアット帝国と呼んでも過言ではないですよね!

1920年代のフィアット

1920年代のフィアット社

出典:https://gazoo.com/

1920年代、フィアットは当時勢力を伸ばしていたファシスト党のムッソリーニと手を組みました。
そのおかげでイタリアに進出しようとしていたフォードを抑え、ファシスト政権のもと、フィアットは自動車生産を急成長させ、また重工業部門でも大きな力を持つようになります。

アニエッリは最終的にファシスト党員になりますが、彼の興味は政治よりもむしろ、会社を存続させ、拡大させるところにありました。
実際、まだ戦争が始まっていなかったとはいえ、敵国となる可能性が高い国々に武器を輸出しており、ムッソリーニの意向に沿わない事業も行っていたのです。

アニエッリは政治と商売を分けて考える、ということを徹底していました。

第2次世界大戦下のフィアット

出典:https://gazoo.com/

第2次世界大戦がはじまりイタリアの敗戦が濃厚になると、フィアットはドイツ軍の支配下で兵器を生産する一方でパルチザン活動を支援し、連合軍と接触を図ります。
この作戦のおかげで、戦後アニエッリは対独協力者として非難されることを免れ、フィアットも企業として存続することができたのです。

そうして、アニエッリは1945年の12月にその生涯を閉じました。

第2次世界大戦後のフィアット

ヴィットーリオ・ヴァレッタの活躍

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アニエッリの死後フィアットを率いたのはアニエッリの腹心の部下、ヴィットーリオ・ヴァレッタ。
戦争中からすでにフィアットの舵を取っていたヴァレッタは、戦争によって打撃を受けていたフィアットを立ち直らせることに成功します。

なんと、1946年に5,000台であった自動車生産を、20年後の1966年には170万台にまで引き上げたのです。
フィアットグループはイタリア経済の潜在工業力の11%を占めるようになります。

イタリアの経済発展と労働者のストライキ

その後、アニエッリの孫であるジャンニがヴァレッタのあとを引き継ぎましたが、ジャンニは労働者のストライキに苦しめられることとなります。

当時のイタリアはものすごいスピードで経済発展を遂げていました。
しかしそれは、南部の農民が北部の工場で働くことで支えられていたものです。
労働強化と低賃金に対する不満は、過激な労働運動となり、それがようやく落ち着いたのあ1971年のことでした。

生産性の低下は長く続き、利益率も大幅に低下してしまいます。
負債が積み重なってしまい、フィアットは危機的状況に追い込まれてしまうのです。

アニエッリの意志を受け継ぐジャンニの戦略

出典:http://create-styles.com/

そこでジャンニが行ったのは、リビアのカダフィ大佐から出資を受け入れ、財務を健全化することでした。
テロリスト国家と危険視させていたリビアと手を結ぶのは危険だという考えもありましたが、フィアットの株は急上昇。
その後パンダやウーノがヒットすることで経営は改善することになりました。

政治と商売は分けて考えるという祖父であるアニエッリの意志を受け継いだジャンニの戦略でした。

フィアットの車種の特徴は?

イタリア車らしいオシャレなデザイン

フィアット500

フィアット車の特徴は、やはりそのデザインにあります。
イタリア車といえば、オシャレなイメージをお持ちの方も多いかと思います。

フィアットもオシャレで特徴的なデザインの車が多くなっています。

(画像はフィアットの代表車:FIAT 500)

故障が多いって本当?

フィアットも含め、イタリア車は故障が多いと言われることがあります。

イタリア人は多少の故障は気にしないという声もありますが、実際のところはどうなのでしょうか。

確かに、日本車に比べると部品の交換頻度が高くなっているようです。
日本車は壊れない自動車を作ることに重きを置いているのに対して、イタリア車は楽しむことを意識して作られているとのこと。

多少の整備は大変でも、より良いデザインで、より良い走りを楽しむ方が良いというイタリア人の心が反映されているのかもしれません。

一大グループとなったフィアット

フィアット

出典:http://culture.fiat-auto.co.jp/

設立当初からアニエッリがフランスの自動車産業を越えていくことを目指していたように、フィアットのその国外進出の意欲は後継者に受け継がれていました。

1934年にはフランスにシムカを設立しノックダウン生産を始め、またドイツにもNSUフィアットを作りました。
国外進出は西欧にとどまらず、ポーランドにも子会社を作りライセンス生産を行います。
さらに戦後になるとスペインに進出、また冷戦下であってもユーゴスラビア、ポーランド、ソ連に立て続けに工場を建設します。

そうして2014年にはアメリカのビックスリーの一角であったクライスラーを子会社にするのです。

現在では、アルファロメオ・フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティなど名だたるイタリアメーカーを参加に置く、一大グループとなっています。

そう言った意味で、フィアットはイタリア車を代表する一大メーカー(グループ)になったと言えるのではないでしょうか。

これからも、フィアットからは目が離せませんね。

フィアットグループは何位?世界シェアランキングをチェック

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